山田弘 (馬主)とは? わかりやすく解説

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山田弘 (馬主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/09 03:52 UTC 版)

やまだ ひろし

山田 弘
第43回ジャパンCパドック(2023年11月26日)
生誕 (1946-07-21) 1946年7月21日(78歳)[1][2]
日本 東京都新宿区[2]
職業
肩書き 不動産会社経営者
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山田 弘(やまだ ひろし、1946年7月21日[1][2] - )は、日本実業家不動産会社経営)、馬主

馬主活動

山田の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は緑,黒袖,黄鋸歯形、冠名は特に用いない。祖父の影響で競馬ファンとなり[3]1956年日本ダービーなども観戦していた[1]。30代後半に日本ダイナースクラブで一口馬主となったのを経て[1]、個人馬主の資格を1988年11月[4]に取得。個人名義では2004年産馬の2頭より競走馬を所有しはじめた。後に岡田牧雄と知り合い、「俺と一緒に(馬を)持とうよ」と言われたことから、岡田スタッドで購買したマックスドリームを所有[1]。本馬は現役時に石清水ステークス(1600万下)を勝利しオープンクラスにまで昇格した[注 1]

2015年になると、ダート路線で善戦していたサウンドトゥルーが本領を発揮するようになり、10月7日日本テレビ盃を制覇、馬主資格取得から27年目にしての初のグレード制重賞制覇を果たした。さらに、年末の東京大賞典を制しGI級競走を初制覇、翌年にはチャンピオンズカップも制してJRA・GI初制覇を果たした[3]。さらに2021年にはタイトルホルダー弥生賞ディープインパクト記念を制し芝の重賞を初制覇[5]、さらに菊花賞も制しクラシック初制覇を果たした[6]

なお、先に述べた岡田牧雄との繋がりから、近年の所有馬の多くは岡田スタッドの生産馬であり、タイトルホルダーの菊花賞制覇は岡田スタッドのクラシック初制覇となった[7]

主な所有馬

GI級競走優勝馬

斜字は地方重賞。

その他の所有馬

なお、以前は一口馬主としても馬を所有しており、代表的な出資馬・共同所有馬にはダンスインザムードドゥラメンテローズキングダムミトラがいた[4]

脚注

注釈

  1. ^ マックスドリームは12歳となる2019年まで走り、最終的には障害競走に出走していたものの、5月4日の障害4歳以上オープンで競走中止、予後不良となった。
  2. ^ 地方競馬へ移籍、八木四朗に名義変更後に2009年と2010年の園田チャレンジカップを制した。

出典

参考文献




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