山田久志との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:13 UTC 版)
ストレート中心のピッチングに限界を感じ始めた山田久志に、シンカーの投げ方の教えを請われたが、足立は「そんなもの、覚えなくていい!」と拒否した。これは「直球で勝負できる時期は、それを生かした投球をするものである」という自身の経験によるものだったが、後に「自分より若い山田がシンカーを覚えたら大変な脅威になると感じた。チームに同じタイプの投手は2人いらないですからね」と正直な気持ちも吐露している。 後にシンカーの投げ方を教えたものの、これも手取り足取りの指導ではなく、「俺はこう握るが、投げ方は人それぞれ違う。後は自分で考えろ」とヒントを与えたに留めている。また、山田自身はシンカーの習得に必死になっていた頃であったため、後年に「最初から教われば『ああ、こういうものか』で終わったかもしれない。自分で苦心していた時期だったのですごく参考になった」と語っている。 同じアンダースローで球の速い山田が投げると打者の目が慣れて自分の緩い球が通用しにくいため、山田の投げた後に登板することを極端に嫌っていた。
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