山宮御神幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 07:13 UTC 版)
山宮浅間神社と浅間大社の間では「山宮御神幸」という行事が行われていた(詳しくは「山宮浅間神社#山宮御神幸|山宮御神幸」を参照)。これは浅間大社と山宮浅間神社間を往復する行事であり、文献上では1577年には既に行われていたことが分かっているが(『冨士大宮御神事帳』)、詳しい開始年などは不明である。1873年まで継続して行われていた。 この儀式の解釈として、神が4月に旧跡(山宮)に戻るという解釈、または山の神が4月に田の神として里(大宮)へ降りるという解釈がなされている。 寛文10年(1670年)の社頭絵図には神幸橋が描かれており、山宮御神幸の際に用いられるものであった。土民の通行が禁じられ、朱塗の柱に檜皮葺を施したものであったという。山宮御神幸にて使用された経路を「御神幸道」といい、起点が神幸橋となる。御神幸道の首標が1984年(昭和59年)に境内の土中から見つかり、「元禄四年末年十一月」と記され元禄4年(1691年)に奉納されたことが分かる。現在は湧玉池のほとりにに立てられている。
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