山吹に関する伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:05 UTC 版)
愛媛県伊予市(旧双海町と旧中山町)にかけての一帯に、山吹に関する伝承がある。義仲が伊予守であったという事実から、山吹が伊予国まで逃避行し、双海町上灘の沿岸部に上陸し、上灘川に沿って東方向に移動する中で息を引き取り、中山町佐礼谷の山中に埋葬されたという内容である。このルート上で、伊予市立翠小学校付近の大栄口から佐礼谷方面への上り坂は、病に倒れた山吹の屍を笹舟に乗せて引き上げたことから「曳き坂」という名前が残り、山吹の墓とされる五輪塔が残る集落は山吹集落という名前であり、山吹神社が鎮座する。佐礼谷には山吹集落の北側に「源氏」という名前の集落もある。また、伊予市立翠小学校付近の集落では、山吹が追手から見つかるのを防ぐため、幟を揚げることを控えたとされ、現在も住民は慣習として鯉のぼりを揚げない。同様の例は平家の落人の里にも散見される。 また、滋賀県大津市には、京洛より義仲を追って逢坂山を越え近江へ入ったところ、現在のJR大津駅の地にあった秋岸寺で敵刃に倒れたとの伝承がある。現在大津駅のそばに「山吹地蔵」の小祠がある。
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