尼子家臣の末路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 14:40 UTC 版)
上記のように、出雲から追放された国人衆の多くは毛利氏が尼子氏を滅ぼしたことにより本領への復帰という宿願を達成した。しかし、逆に尼子氏に仕えていた者たちの中には義久幽閉先に同行した宇山誠明・本田家吉等の直臣を除けば所領や地位を剥奪され流浪の生活を強いられることになった。 これに対して尼子下部に属していた家臣団の本領復帰の近道は尼子氏の復権というものになった。この中に居たのが立原久綱・秋上宗信・山中幸盛等の比較的地位の低かった家臣や重臣の庶子達であった。彼らの生活基盤となるものを保障をしていた尼子氏の復権を狙ったものが尼子勝久を担いだ形となる再興軍であった。
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