小野ヶ滝定右エ門とは? わかりやすく解説

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小野ヶ滝定右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 04:14 UTC 版)

小野ヶ滝 定右エ門(おのがたき さだえもん)は、下野国都賀郡(現在の栃木県日光市)出身で錣山部屋に所属した江戸時代の大相撲の第92代大関

1812年(文化9年)冬場所(11月)、西看板大関としてデビュー。その場所は2勝1敗7休で、次場所から平幕に下がり、1815年(文化12年)冬場所(11月)後に番付から消滅。看板大関としてデビューした小野ヶ滝についての確実な記録はこれが最後である。

1822年文政5年)冬場所(10月)に砥並山 岩之助(となみやま いわのすけ)に改名して再度西前頭2枚目で復帰したという説もあるが、不確実であり、小野ヶ滝と砥並山は別人である可能性もあり、別人であれば小野ヶ滝は1815年(文化12年)冬場所(11月)後に引退したことになる。[1]「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』はその両者が同一人物、すなわち小野ヶ滝が砥並山に改名した可能性が高いとしている[2]

通算7場所、小野ヶ滝が砥並山に改名したとすれば9場所現役だったが、成績は振るわなかった。

主な成績

  • 小野ヶ滝としての確実な記録
    • 現役在位:7場所
    • 通算成績:5勝10敗54休1無


小野ヶ滝 定右エ門
春場所 冬場所
1812年 x 西大関
2–1–7 
1813年 西前頭3枚目
2–5–2
1無
 
西前頭8枚目
1–4–5[3] 
1814年 東前頭9枚目
0–0–10 
東前頭9枚目
0–0–10 
1815年 東前頭6枚目
0–0–10 
東前頭6枚目
引退
0–0–10
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 以下は砥並山の記録。小野ヶ滝から改名した可能性もあるが、別人の可能性もあり。
    • 現役在位:2場所
    • 通算成績:2勝4敗11休


砥並山 岩之助
春場所 冬場所
1822年 x 西前頭2枚目
2–4–4 
1823年 西前頭6枚目
引退
0–0–7
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注

  1. ^ 飯田昭一『史料集成江戸時代相撲名鑑』 : この書籍によれば、「小野ヶ瀧 定右衛門」の項に、「『栃木の名力士』によれば、後に「砥並山 岩之助」に改名したと云うが、詳細不詳。」とある。また同書の「砥並山 岩之助」の項には、1815年(文化12年)から1822年(文政5年)までの空白を埋める資料がなく、小野ヶ滝と砥並山を同一人物とする説は根拠薄弱といった記述がある。
  2. ^ 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
  3. ^ 番付外。

関連項目

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