小豆洗いの物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 08:46 UTC 版)
この妖怪の由来が物語として伝わっていることも少なくない。江戸時代の奇談集『絵本百物語』にある「小豆あらい」によれば、越後国の高田(現・新潟県上越市)の法華宗の寺にいた日顕(にちげん)という小僧は、体に障害を持っていたものの、物の数を数えるのが得意で、小豆の数を一合でも一升でも間違いなく言い当てた。寺の和尚は小僧を可愛がり、いずれ住職を継がせようと考えていたが、それを妬んだ円海(えんかい)という悪僧がこの小僧を井戸に投げ込んで殺した。以来、小僧の霊が夜な夜な雨戸に小豆を投げつけ、夕暮れ時には近くの川で小豆を洗って数を数えるようになった。円海は後に死罪となり、その後は日顕の死んだ井戸で日顕と円海の霊が言い争う声が聞こえるようになったという。 東京都檜原村では小豆あらいど(あずきあらいど)といって、ある女が小豆に小石が混ざっていたと姑に叱られたことから川に身を投げて以来、その川から小豆をとぐ音が聞こえるようになったという。愛媛県松山市に伝わる小豆洗いの話では、明治初期に川の洗い場に50歳ほどの女性が小豆と米を洗っていたため、そこには誰も洗濯に寄らず、その女はやがて死に去ったという。
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