小笠原由祠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小笠原由祠の意味・解説 

小笠原由祠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 01:47 UTC 版)

おがさわら ただし
小笠原 由祠
本名 小笠原 匡(おがさわら ただし)
別名義 小笠原 匡(旧芸名)
生年月日 (1965-08-27) 1965年8月27日(59歳)
出生地 日本東京都
民族 日本人
職業 狂言能楽師
ジャンル 舞台
活動期間 1983年 - 現在
活動内容 狂言、狂言他舞台
配偶者 小笠原尚子
著名な家族 長男:小笠原弘晃
事務所 萬狂言
公式サイト 萬狂言公式HP[1]
テンプレートを表示

小笠原 由祠 (おがさわら ただし、1965年8月27日 - )は、狂言方和泉流能楽師、師匠は贈八世野村万蔵(五世野村万之丞)萬狂言関西支部代表、能楽協会会員、旧芸名及び本名は小笠原 匡(おがさわら ただし)。重要無形文化財保持者(総合認定)。

1983年に野村耕介(のちの五世野村万之丞→贈八世野村万蔵)の一番弟子として入門した。1986年、師匠の書生を2年半務めたのち、狂言・「舟ふな」のシテにて初舞台を踏んだ。

2000年1月に師匠が設立した「萬狂言関西支部」の代表に就任するなど、師匠の信頼も厚かった。

なお、2004年6月に師匠の五世万之丞(贈八世万蔵)が満44歳(享年46)で他界したのちは、支部代表として師匠・八世万蔵の弟の九世野村万蔵を支え、若手の狂言方の育成をするなど「萬狂言」の中核を担う狂言方として活動している。

なお、長男の小笠原弘晃(2001年生まれ)も狂言方の道を歩んでいる。また、弘晃の姉に当たる娘が一人いる。

年譜

  • 1986年、師匠の付き人を2年半務めたのち、狂言・「舟ふな」シテにて初舞台を踏む。
  • 1990年1月、「千歳」を披く
  • 1993年3月 、「奈須与市語」 を披く。
  • 1993年9月 、師匠・五世万之丞(八世万蔵)の学友である皇太子徳仁親王(当時)の「皇太子殿下 雅子妃殿下 御成婚祝賀記念式典(宮中)」において「萩大名」の太郎冠者を演じる。
  • 1996年1月、「三番叟」 を披き独立。
  • 2000年、師匠・五世万之丞(八世万蔵)が設立した萬狂言主催の「披の会」にて 「金岡」 を披く。同年、師匠・五世万之丞(八世万蔵)によって萬狂言関西支部代表に任命された。
  • 2003年、狂言方の大習(一人前の狂言方になったしるし)である「釣狐」を披く。
  • 2008年、「花子」を披く。

外部リンク

萬狂言公式HP[2]




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  小笠原由祠のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小笠原由祠」の関連用語

小笠原由祠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小笠原由祠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小笠原由祠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS