馬場はる
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馬場 はる(ばば はる、1886年〈明治19年〉2月22日 - 1971年〈昭和46年〉5月28日[1])は、日本の実業家、慈善家。女性初の富山市名誉市民である。富山県に多額の寄付を行い、旧制富山高等学校(富山大学の前身のひとつ)の設立と運営に大きく貢献した[2]。
略歴
下新川郡泊町(現・朝日町)の小沢家に生まれる[1]。小沢家は江戸時代に加賀藩の十村も務めた名のある商人の家であったが、1899年(明治32年)に屋敷が全焼している[2]。
15歳の時の1902年(明治35年)、上新川郡東岩瀬町にて廻船問屋を営んでいた馬場家の3代目当主、馬場道久(1919年〔大正8年〕病没)に嫁ぎ[1][2]、夫の没後は育児と家業経営を担った[2]。
その後、富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)に在学していた長男の馬場正治から進学先[注釈 1]について相談されたのをきっかけに[3][2]、はるは地元の子弟のため富山県にも高校を設置したいと考えるようになり、1923年(大正12年)、富山県に高校設置を申請するとともに150万円を超える寄付をした[2]。富山県は寄付を基に私立の『馬場高等学校』として開校する事を提案したが、はるは公立での開校を要望したため、公立高校としての設置が決定した[3]。これがきっかけで、同年10月に7年制の旧制富山高等学校の設置に至った。さらに高校の開校を記念して、ラフカディオ・ハーンの蔵書などを遺族から買い受け、『ヘルン文庫』として寄贈した[1][2]。はるはこれ以降も富山高校への寄付を続け[2]、その総額は161万5,000円に及んだ[4]。
その後、旧制富山高校の校地は、後身の新制富山大学文理学部が蓮町キャンパスとして1962年(昭和37年)まで引き続き使用し、文理学部が五福キャンパスへの統合で移転した後は馬場記念公園(蓮町公園)として整備されている。1995年(平成7年)には、はるの功績をたたえて彼女の胸像が公園内に建立された[3]。
栄典
- 紺綬褒章 - 1924年(大正13年)9月27日(富山高校へのヘルン文庫寄贈により)[5]
- 従六位 - 1928年(昭和3年)11月10日[6]
- 富山市名誉市民 - 1961年(昭和36年)3月29日、女性として最初の富山市名誉市民[2][7]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 『富山大百科事典 下巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)682頁。
- ^ a b c d e f g h i 富山県の若者に高等教育の機会を 馬場はる (PDF) (富山県、2025年10月9日閲覧)
- ^ a b c 「とやまに7年制の高等学校を」 旧制高校の生みの親 馬場はる (PDF) (富山県教育記念館、2025年10月9日閲覧)
- ^ 『富山大百科事典 下巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)454頁。
- ^ 『官報』第3634号、2025年10月10日閲覧。
- ^ 『官報』号外、昭和3年11月10日、2025年10月10日閲覧。
- ^ 富山市名誉市民 (PDF) (富山市、2025年10月11日閲覧)
関連項目
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