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小林亀久雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 10:15 UTC 版)

小林 亀久雄(こばやし きくお、1894年明治27年)1月16日[1] - 1941年昭和16年)10月9日[2][3])は、日本外交官。駐アフガニスタン公使

経歴

山梨県中巨摩郡明穂村(現・南アルプス市)出身[1]1918年大正7年)高等試験行政科試験に合格[3][4]。翌年、東京帝国大学法学部法律科を卒業し、農商務属となった[4]1920年(大正9年)に外務省に転じ、外務事務官国際連盟事務局事務官、外務省条約局勤務、フランス大使館三等書記官、同二等書記官、チェコスロバキア公使館二等書記官を歴任[4]1933年(昭和8年)外務省条約局第一課長となり、1936年(昭和11年)に通商局総務課長に転じた[4]。さらにベルギー大使館参事官ジュネーブ総領事兼国際会議帝国事務局次長を経て、1941年(昭和16年)4月に駐アフガニスタン公使に任命された[5]。同年9月に赴任したが同年10月に病死した[3]

栄典

脚注

  1. ^ a b 『帝国人事大鑑 昭和11年版』帝国日々通信社、1935年、補遺68頁。
  2. ^ 故特命全権公使小林亀久雄位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11115135300 
  3. ^ a b c 『新版 日本外交史辞典』323頁。
  4. ^ a b c d 人事興信録 第12版(上) 1939.
  5. ^ 人事興信録 第13版(上) 1941.
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年。
先代
柳井恒夫
国際会議帝国事務局次長
1940年 - 1941年
次代
廃止



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