小松姫の逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 13:45 UTC 版)
小松姫(稲姫)は徳川四天王の本多忠勝の娘であり真田昌幸の長男・真田信幸の妻である。 関ヶ原の戦いの直前、下野国犬伏で真田父子三人が合議し、父昌幸と信繁は西軍、信之は東軍につくことが決した。昌幸は犬伏を発ち、上田への帰路桐生辺りで「沼田に寄り孫に会いたい」と言い出し、そのまま沼田城を訪れた。小松姫は「たとえ舅であっても敵である」ということから、武装した姿で対応し城門を開かず追い返した。後に、自ら子供を連れて昌幸のもとを訪れ、舅の願いを叶えた。このことについて、昌幸・信繁は大いに感心したと言う。 一方で昌幸には沼田城に立ち寄りそのまま城を奪取する意図があった、小松姫はそれを見越した上で穏便に解決した、とも言われる。
※この「小松姫の逸話」の解説は、「沼田城」の解説の一部です。
「小松姫の逸話」を含む「沼田城」の記事については、「沼田城」の概要を参照ください。
- 小松姫の逸話のページへのリンク