小早川秀秋に仕える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 16:35 UTC 版)
文禄4年(1595年)に小早川隆景が隠居して養子の小早川秀秋が家督を継ぐと秀秋付きの家臣となり、慶長元年(1596年)から始まる慶長の役では次男の清八や家臣の田邊権太夫らと共に武功を挙げた。慶長4年(1599年)3月3日に秀秋から4000石の所領を与えられ、慶長5年(1600年)8月19日には上地の替地として944石2斗3升を与えられた。同年9月15日の関ヶ原の戦いでも秀秋に従っている。 関ヶ原の戦いの後に秀秋が備前国岡山へ加増転封されると、景幸も秀秋に従って岡山へ移り、同年11月11日に美作国久米北条郡の角石村1113石7斗4升4合と上打穴村1606石、備前国邑久郡包松村の内の1280石、合計4000石を与えられた。
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