小島城_(飛騨国)とは? わかりやすく解説

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小島城 (飛騨国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 00:13 UTC 版)

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小島城
岐阜県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城年 南北朝時代?
主な城主 姉小路小島氏、金森氏
遺構 石垣土塁櫓台天守台)、虎口
指定文化財 国の史跡「小島城跡」
(「姉小路氏城跡」のうち)
再建造物 なし
位置 北緯36度15分06.1秒 東経137度10分27.5秒 / 北緯36.251694度 東経137.174306度 / 36.251694; 137.174306座標: 北緯36度15分06.1秒 東経137度10分27.5秒 / 北緯36.251694度 東経137.174306度 / 36.251694; 137.174306
地図
小島城
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小島城(こじまじょう)は、岐阜県飛騨市古川町・沼町にあった中世の日本の城山城)。姉小路小島氏が本拠(本城)とした。国の史跡に指定されている(史跡「姉小路氏城跡」のうち)[1][2]

概要

越中西街道と神岡街道に挟まれて宮川の低地に西向きに突き出した標高620メートルの山頂に位置する[3]

姉小路氏綱が、後醍醐天皇より飛騨国司補任され、当城に入ってこの地を治める。小島城は宗家小島家の居城として8代、250年間続いた[4]。1411年(応永18年)の飛騨の乱に際し、姉小路尹綱(古川尹綱)が当城で室町幕府軍と交戦したとされる[3]

姉小路氏は、1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命を受けた金森氏(金森長近)の侵攻により滅ぼされたとされ、小島城は金森氏により改修を受けていると考えられている[5]

1959年(昭和34年)11月16日に岐阜県指定史跡に指定され[3][6]、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡に指定された(史跡「姉小路氏城跡」のうち)。

城郭

石垣土塁櫓台天守台)、虎口が残る。

逸話

  • 城内には小島古城があり、姉小路氏当初の城・居館とされる。
  • 麓には居館御所である柳の御所があり、現在は御所桜の観光地となっている。

脚注

  1. ^ 文化審議会の答申(史跡名勝天然記念物の指定等)について(文化庁報道発表 、2023年10月20日)。
  2. ^ 令和6年2月21日文部科学省告示第12号
  3. ^ a b c 「小島城跡」岐阜県公式HP
  4. ^ 『飛騨市山城マップ~姉小路編~』飛騨市教育委員会事務局文化振興課
  5. ^ 「小島城跡(飛騨国司・姉小路氏の城館群)」飛騨市教育委員会公式HP
  6. ^ 「県指定文化財一覧(飛騨市内の文化財一覧)」飛騨市教育委員会公式HP

関連項目

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