尊王志士・義民としての長山氏
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「長山氏」の記事における「尊王志士・義民としての長山氏」の解説
また、上記の水戸藩郷士 長山氏及び同じ常陸国内で長山姓を有する者で幕末、天狗党の乱に加わった者がいたとされる。以下、それらの面々について概説する。 長山彦四郎 常陸国那珂郡の百姓。諱は義見。天狗党の乱に加わり、慶応2年(1866年)7月4日、江戸佃島にて獄死。享年25(17とも)。靖国神社合祀。 長山伊助 那珂郡那賀村の山横目添役兼里正。諱は明啓。天狗党に加わり、慶応元年(1865年)6月12日、獄死。享年36。靖国神社合祀。 長山助十郎 那珂郡若林村の百姓。天狗党に加わり、慶応元年(1865年)閏5月1日、獄死する。享年38。靖国神社合祀。 長山清左衛門 那珂郡門井村の百姓。諱は方紀。天狗党に加わり、慶応3年(1867年)1月16日、下総国銚子で獄死する。享年65。靖国神社合祀。 長山総兵衛 常陸国久慈郡冥賀村の百姓。小山守。天狗党に加わり、慶応元年(1865年)8月10日、下総国佐倉にて獄死する。享年54。靖国神社合祀。 長山佐平次 常陸国多賀郡下孫村の百姓(郷士とも)。安政6年(1859年)、士民と江戸に向かい、7月29日、河内郡鹿子村にて自刃する。享年29。靖国神社合祀。 長山四郎兵衛 常陸国多賀郡下孫村の百姓。天狗党に加わり、元治元年(1864年)8月28日、同郡内の金沢村で民兵と合戦に及び討ち死にする。享年58。贈正五位。靖国神社合祀。 長山伝七 常陸多賀郡介川村の百姓。元治元年(1864年)9月8日、獄死。享年29。靖国神社合祀。 長山健次 常陸多賀郡介川村の百姓。慶応元年(1865年)1月20日、獄死。享年24。靖国神社合祀。
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