専門外の学者による異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:15 UTC 版)
比較文学・文化学者である上垣外憲一は、『日本書紀』の記述中朝鮮半島関係の造作は特に著しいとして、その理由は『日本書紀』編纂が白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗戦したことを背景にしていると指摘している。 また、上垣外はここでいう「倭国」を、下関にあった新羅系の国であったイツツヒコ王国とした上で、朝鮮史書『新羅本紀』に依って、344年2月に通婚(婚姻による同盟)を新羅王に断られた倭国が激怒し、翌345年、国交を断絶し、346年には大規模な新羅侵攻を行い、慶州の金城を包囲したとしている。イツツヒコ王国は新羅軍によって敗れ、配下にあった出雲王国も離反し、没落・消失したとした。さらに上垣外は、神功皇后による新羅征討とは、まずはこの弱体化した下関のイツツヒコ王国の打倒戦争であったとしている。
※この「専門外の学者による異説」の解説は、「三韓征伐」の解説の一部です。
「専門外の学者による異説」を含む「三韓征伐」の記事については、「三韓征伐」の概要を参照ください。
- 専門外の学者による異説のページへのリンク