専横と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/26 13:04 UTC 版)
アラー・ウッディーンは晩年に健康を崩し、マリク・カーフールの権力が宮廷で増長していった。マリク・カーフールは彼を説得し、その正妃を宮廷から追放、妃の兄弟を処刑したうえ、アラー・ウッディーンの息子で後継者としていたヒズル・ハーンをも投獄させた。 1316年1月、アラー・ウッディーンが水腫死去すると、マリク・カーフールが暗殺したとの噂がなされた。彼は権力を一手に握るため、その次男のシャーディー・ハーン、三男のクトゥブッディーン・ムバーラクを幽閉した。幽閉後、彼はシャーディー・ハーンをそれ以前より幽閉していたヒズル・ハーンとともに盲目にし、クトゥブッディーン・ムバーラクも盲目にしようとした。 そのうえで、マリク・カーフールはアラー・ウッディーンの幼少の末子シハーブッディーン・ウマルを王位につけて、自身の傀儡とした。だが、マリク・カーフールはその専横が極まりない行動が、貴族からの反発を招いていることに気づいていなかった。アラー・ウッディーンの死から35日後、彼は貴族らによって暗殺された。 マリク・カーフールという後ろ盾を失ったウマルは廃されるところとなり、幽閉されていたクトゥブッディーン・ムバーラクが王となった。
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