宮本照明とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宮本照明の意味・解説 

宮本照明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:25 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

宮本 照明(みやもと てるあき、1854年9月24日安政元年8月3日[1][2][注 1]) - 1917年大正6年)9月7日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級、功三級[4]

経歴

常陸国、のちの茨城県新治郡九重村桜村を経て現つくば市)出身[2]。士族・櫻井牧蔵の長男として生まれ、1878年(明治11年)9月、宮本玄孝の養子となり、1885年(明治18年)4月、家督を相続する[2]1875年(明治8年)陸軍士官学校に入学し(旧2期[3][4][1]1879年(明治12年)2月、陸軍砲兵少尉に任官する[2][5]。以来累進し1897年(明治30年)中佐に進み[1]1900年(明治33年)5月、侍従武官となる[4]。この間、東宮武官、台湾総督参謀、台湾守備混成第2旅団参謀長、野戦砲兵第16連隊長を歴任した[1]。また、日清戦争の際には大本営附として広島へ出張した[1]

1901年(明治34年)11月、大佐に進み、日露戦争終戦間際の1905年(明治38年)4月に野戦砲兵第2連隊長となった[4]。ついで1906年(明治39年)8月、陸軍少将に進級と同時に野戦砲兵第1旅団長に補され、翌年2月、台湾総督府陸軍参謀長に任じた[4]。その後、1912年(大正元年)8月、陸軍中将に進級と同時に後備役編入となった[3][4]

栄典

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』708頁では安政3年8月生。

出典

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1903, 1040頁.
  2. ^ a b c d 人事興信所 1915, み60頁.
  3. ^ a b c 福川 2001, 708頁.
  4. ^ a b c d e f 外山 1981, 55頁.
  5. ^ 外山 1981, 52頁.
  6. ^ 『官報』第37号「叙任及辞令」1912年9月11日。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  宮本照明のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮本照明」の関連用語

宮本照明のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮本照明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮本照明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS