実業団、コーチへの転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 16:47 UTC 版)
大学卒業後、オーエスジーに就職する。オーエスジーには実業団バスケットボール部「OSGフェニックス」があったが、下地はそれとは関係無く一般社員として入社し、将来バスケットボールの指導者を志してはいたものの、部の活動には掃除などの手伝いで関わる程度だった。入社当初は競技生活から離れたこともあり体重が増えていたが、外見を気にして減量を行うと体調が良くなり、大口真洋ら選手の練習相手を務めるようになる。その後、心臓の専門医による診察などを経て、入社3年目に競技生活への復帰を一旦果たしたものの、再び大動脈瘤を発症し、バスケットボール日本リーグ公式戦へ出場すること無く再び引退した。 引退後はオーエスジーのアシスタントコーチに就任し、当時オーエスジーの監督だった中村和雄の下、指導者の道を歩み始める。2003年には佐藤久夫の誘いにより、オーエスジーを退社しバスケットボール男子日本代表のアシスタントコーチに就任、当時ヘッドコーチだったジェリコ・パブリセヴィッチの薫陶を受けた。
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