宍戸家政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:56 UTC 版)
名前は宗政とも。八田知家の四男。文治4年(1188年)に生まれる。官位は従五位下、左衛門尉、筑後守。通称は宍戸四郎、四郎左衛門尉。鎌倉から常陸国笠間郡宍戸荘に住んだことからはじめて宍戸を称する。建保元年(1213年)5月3日の和田合戦では北条氏側で参戦。鎌倉琵琶橋において和田義盛方の武将朝比奈義秀と組み合いになり討ち死にする。法名は貞阿。
※この「宍戸家政」の解説は、「宍戸氏」の解説の一部です。
「宍戸家政」を含む「宍戸氏」の記事については、「宍戸氏」の概要を参照ください。
- 宍戸家政のページへのリンク