安養院_(品川区)とは? わかりやすく解説

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安養院 (品川区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/19 22:12 UTC 版)

安養院
本堂は5階にある
所在地 東京都品川区西五反田4-12-1[1]
位置 北緯35度37分35.1秒 東経139度42分36.1秒 / 北緯35.626417度 東経139.710028度 / 35.626417; 139.710028座標: 北緯35度37分35.1秒 東経139度42分36.1秒 / 北緯35.626417度 東経139.710028度 / 35.626417; 139.710028
山号 臥龍山[2]
院号 安養院
宗派 天台宗
本尊 釈迦如来[2](涅槃像)
創建年 平安時代[1]初期
開山 慈覚大師円仁[1]
中興年 寛永元年(1624年[1]
中興 唱岳長音[1]
別称 寝釈迦寺[2]、寺号:能仁寺[2]
公式サイト 安養院について
法人番号 1010705000103
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安養院(あんよういん)は、東京都品川区にある天台宗寺院

概要

平安時代初期、慈覚大師円仁によって開山された。1624年寛永元年)、唱岳長音によって中興された[1]

当寺の本尊は釈迦涅槃像で、俗に「寝釈迦」と呼ばれ、寺も「寝釈迦寺」と呼ばれている。1780年安永9年)の火災で焼失し、1817年文化14年)に再造された。1945年昭和20年)の空襲で首だけを残して焼失し、戦後に再再造された[3]

北インド・チベット仏教美術館

1991年平成3年)に開館した美術館である。見所は、ネパールチベット仏教僧らが製作した砂の曼荼羅である。本来は美術館開館記念として製作されたもので、開館当日に法要を行って壊すことになっていたが、そのまま保存してある。他にも10枚の曼荼羅が展示されている[3]

墓所

  • 唱岳長音(中興)
  • 空誉弾阿(唱岳長音の後を継いだ住職)
  • 称専院(広島藩藩主浅野綱晟側室
  • 和蘭矮狗玄雋(オランダ人が連れてきた小型犬)
  • 八代亜紀(歌手) - 自身の菩提寺であり、銅像が建立された[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g 臥龍山能仁寺 安養院天台宗東京教区
  2. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 桐ヶ谷村.
  3. ^ a b 平野栄次 著『品川区史跡散歩 (東京史跡ガイド9)』学生社、1993年、94-97p
  4. ^ "八代亜紀さんの等身大銅像が完成、「雨の慕情」のポーズ 一周忌に合わせて都内の菩提寺に". 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 2024年12月19日. 2024年12月20日閲覧

参考文献

関連文献

  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 臥龍山安養院 寝釈迦堂」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、97,100頁。NDLJP:1174144/53 

関連項目




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