安養院の伝え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/06 01:48 UTC 版)
信明によって創立された安養院の由緒によると、信明の兄である本庄藤太郎行重(雪茂)が入道して「伊安」と称し、院の東南に常陽軒を建てて住み、大山阿夫利神社を遷座し、境内の鎮守としたとされる。当初は領内の富田村に庵室を結び、「安養庵」と称して移住していたが、文明7年(1475年)に上州沼田の奥迦葉山龍華院三世 玉岑慶珠を招き、開山して、「安養院」と改称し、現在地に移したとされる。後世では、徳川家光より25石の朱印地を拝領された(現在、伽藍は本庄市指定文化財となっていて、本堂の方は現在でも「本庄最大の木造建築物」とされる)。なお、由緒の記録では弟藤太郎と記されているが、太郎と言う通称は長男を指すものであり、誤記と考えられる(従って信明も長男である行重の弟と言う事になる)。
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