安養・水原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:37 UTC 版)
9月19日、第7師団第32連隊は、第1海兵師団から京仁国道以南の地域を引き継ぎ、永登浦西側6キロの安養川付近に進出していた。第7師団の任務は、第1海兵師団の右側方を防護し、南側からソウルに北上する人民軍を遮断して第1海兵師団のソウル奪還を支援することだった。 9月20日、第32連隊は安養方面に攻撃を続けたが人民軍の地雷によって進出が遅れた。第73戦車大隊A中隊の戦車3両が破壊され、連隊長のジープも破壊された。工兵部隊によって150個余りの地雷が取り除かれ、9月21日に禿山里と安養を占領した。 9月22日、戦車1個中隊、歩兵1個中隊、砲兵1個砲隊および衛生部隊によって編成されたハンナム支隊が水原を確保し、同地域の警戒任務を第31連隊が引き継いだ。
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