安閑寺 (文京区)とは? わかりやすく解説

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安閑寺 (文京区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 03:58 UTC 版)

安閑寺
所在地 東京都文京区白山2-13-13
位置 北緯35度43分01.6秒 東経139度44分48.1秒 / 北緯35.717111度 東経139.746694度 / 35.717111; 139.746694座標: 北緯35度43分01.6秒 東経139度44分48.1秒 / 北緯35.717111度 東経139.746694度 / 35.717111; 139.746694
山号 天皇山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛永5年(1628年
開山 釈善徹
法人番号 4010005000313
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安閑寺(あんかんじ)は、東京都文京区にある真宗大谷派寺院

歴史

1628年寛永5年)、釈善徹によって開山された。当初は市谷田町に寺基を置いていたが、その後、用地召し上げなどのため1647年正保4年)に現在地に移転した[1]

元禄時代より衆生の病を治すべく、参拝者にを施術していた。そのため当寺は名灸として知られていた[2]

異伝

なお、異伝として下記のような話が伝わっている[3]

古墳時代大連大伴金村の子・金枝は安閑天皇に仕えていたが、安閑天皇の崩御を深く悲しみ、官職を辞して安閑天皇陵に近い河内国石川の地(現・大阪府富田林市南河内郡周辺)に隠棲し、子の金麿とともに安閑天皇の冥福を祈った。その後、仏教が伝来すると金枝は出家して「釈珍識」と名乗り、自宅を仏教の道場としたという。これを以て当寺の起源としている。

その後、天平年間(729年 - 749年)に安閑陵により近い高屋(現・大阪府羽曳野市古市)に移転し、「天皇山安閑寺」を称した。後に真言宗に属することになる。

建武年間(1334年 - 1336年)の兵乱により堂宇が消失したため、安閑天皇の位牌を奉持して三河国宝飯郡(現・愛知県蒲郡市豊川市周辺)に移転する。

天正年間(1573年1593年)に当寺第37世住職釈善徹は教如の弟子となり、浄土真宗に改宗した。そして、慶長年間(1596年1615年)に江戸に移転した。

寺号が「安閑寺」であるのは「安らかに静かなるさま」を意味する普通名詞ではなく、山号が「天皇山」であることを含めて安閑天皇に由来するという。

寺宝等

墓所

交通アクセス

出典

  1. ^ 『寺社書上-小石川書上』国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 小石川仏教会「小石川の寺院」刊行委員会 編『小石川の寺院(上巻)』小石川仏教会、2002年、116-117p
  3. ^ 小石川区 編『小石川区史』小石川区、1935年、843p

参考文献

  • 『寺社書上-小石川書上』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 小石川区 編『小石川区史』小石川区、1935年
  • 小石川仏教会「小石川の寺院」刊行委員会 編『小石川の寺院(上巻)』小石川仏教会、2002年

関連項目




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