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宇野勇作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 08:43 UTC 版)

宇野勇作

宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月15日[1]) - 1940年昭和15年)10月8日[2])は、大正から昭和時代前期の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員衆議院議員(1期)。

経歴

陸奥弘前藩津軽郡上十川村(青森県南津軽郡六郷村を経て現黒石市)に生まれる[3]。南黒地方屈指の大地主[3]。南津軽郡立中学校を卒業し、産馬、リンゴ園、酒造業、運送業などを営む[3]1915年(大正4年)青森県会議員に当選[2][3]1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では青森県第3区から立憲政友会公認で出馬し、鳴海文四郎を700票余上回り当選する[3]

1927年(昭和2年)六郷村長となり[3]1932年(昭和7年)9月には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月29日[4]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した[2]交友倶楽部に所属した[3]。父に続き2代連続で貴族院議員に当選したことを記念して青森市米町に政友会館を寄付した[3]。ほか、青森県農工銀行、尾上銀行各専務、弘南鉄道の重役を歴任した[3]1940年(昭和15年)第五十九銀行頭取在任中に死去し、銀行葬が営まれた[3]

親族

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、21頁。
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 182頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 東奥日報社 2002, 75頁.
  4. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
  5. ^ 人事興信録 第8版 ウ39
  6. ^ 人事興信録第8版マ八十二

参考文献




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