学校敷地・校舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:41 UTC 版)
「大阪市立南高等学校」の記事における「学校敷地・校舎」の解説
1956年には鰻谷の大阪市立大学敷地(旧制大阪市育英商工学校跡地。現在の中央区島之内1丁目)を運動場として譲り受け、翌1957年より運動場として使用した。鰻谷運動場は大阪市立南中学校の移転・建て替え用地として提供されることになり、1983年3月に廃止している。廃止の代替地として、1983年4月より旧南中学校分校敷地が提供され、南船場運動場として使用している。 1960年代には生徒数増加に伴う学級増のため、特別教室を普通教室に転用したり、屋上にプレハブ校舎を設置するなどした。敷地狭隘化や校舎老朽化により、1960年代前後から郊外移転なども含めた対策が検討された。大阪市教育委員会は移転先として瓜破(現・平野区)や南港(現・住之江区)などの案を提示した。しかし学校関係者は「移転する場合は、南区内もしくは近辺での移転を希望する」と強く主張し、郊外移転案は立ち消えになっている。 最終的には現在地での校舎建て替えが、1986年2月に決定した。1986年8月には浪速区難波中3丁目、旧大阪市立難波小学校跡に仮移転し、仮校舎で約1年半の間教育活動をおこなった。 1988年3月に現在地に新校舎が竣工し、1988年4月より使用を開始している。
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