子之神社 (狛江市)とは? わかりやすく解説

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子之神社 (狛江市)

(子之権現三島神社 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 13:38 UTC 版)

子之三島神社

鳥居と拝殿
所在地 東京都狛江市西野川1-17-8
位置 北緯35度38分53秒 東経139度34分38.4秒 / 北緯35.64806度 東経139.577333度 / 35.64806; 139.577333 (子之神社 (狛江市))座標: 北緯35度38分53秒 東経139度34分38.4秒 / 北緯35.64806度 東経139.577333度 / 35.64806; 139.577333 (子之神社 (狛江市))
主祭神 大己貴大神 大山祇神 事代主神
社格 村社
創建 創建年度不明 文安五年(1448年)に創建?
別名 子之権現三島神社 覚東子之神社
例祭 9月の最終日曜日(5週目がある場合4週目の日曜日)
地図
子之三島神社
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子之三島神社(ねのみしまじんじゃ)は、東京都狛江市神社

概要

子之三島神社は覚東村の鎮守である。御祭神は大己貴大神大山祇神事代主神である。

当社名である子之とは埼玉県飯能市の山中にある子之権現(天龍寺)から勧請して当地に祀られた事から子之権現と名乗った。

子之三島神社の杉

このの木は伊勢神宮から種を貰い育った杉である。

歴史

創建年代は不明である。ただ江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』に掲載されていることから、少なくとも江戸時代後期には既に存在していたものと推測される。覚東村の名主である鈴木家の文書では文安五年(1448年)に創建と記されている。

覚東村の名主であった髙野家(現 髙木家)の敷地内に子之神社があった。1871年(明治四年)に、上覚東の鎮守社であった子之神社と、下覚東(中覚東含む)の鎮守社であった三嶋神社と境内社の厳島神社(弁天社)を合併、合祀して成立した神社である。

両社の合併後の社殿は1888年(明治二十一年)に改築がなされ、1893年(同25年)に竣工したという。1964年昭和39年)に東京オリンピック記念事業として、拝殿や鳥居を建てている。

境内社

  • 厳島神社・・・三島山覚東寺千手院(東野川2丁目4-2)内の弁天社が1868年(明治元年)の神仏分離の影響を受け当社に移転したものだと考えられる

祭事

9月の最終日曜日(9月の日曜が5週ある場合は4週目に開催される)

交通アクセス

参考文献

  • 東京都神社庁 編『東京都神社名鑑 下巻』東京都神社庁、1986年



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