女王との結婚、内乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 08:48 UTC 版)
「ジェームズ・ヘップバーン (第4代ボスウェル伯爵)」の記事における「女王との結婚、内乱」の解説
1567年4月23日にボスウェルによってメアリーが誘拐されるという形で、5月15日に2人は結婚した。メアリーは彼にオークニー公爵の称号を与え、オークニー諸島とシェトランド諸島の領地を与えた。しかし、6月6日にはアーガイル・モートン・アソールなどの反ボスウェル派の貴族たちが反乱を起こし、メアリーとボスウェルは反乱軍と戦ったものの、6月15日にエディンバラ東部の町カーバリー・ヒルで投降した。 ボスウェルはメアリーと別れた後、ダンバー城にたどりついた。以前からマリ伯の行動に不審を抱いていた貴族たちがそこに集結しており、ボスウェルは小規模な軍隊を編成したが、枢密院の有罪宣告により貴族たちは姿を消していってしまい、メアリー救出までには至らなかった。ボスウェルの首には1000クローネの懸賞金が賭けられた。その後、ボスウェルはハントリー伯を訪ねたが、協力は得られなかった。
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