女性祭祀者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:40 UTC 版)
「大谷古墳 (京丹後市)」の記事における「女性祭祀者」の解説
記紀にも記述されている様に、第9代開化天皇の妃である竹野媛、第11代垂仁天皇の后である日葉酢媛を輩出し、大谷古墳近くの丹後国二之宮でる大宮売神社に祀られる天鈿女神(大宮売神)や比沼麻奈為神社に祀られる豊受大神も女性神であることから、古代丹後は女性の地位が高かったことが推測される(当地の式内社の祭神は全て豊受大神。大宮売神社の祭神二座の内の一座である若宮売神は豊受大神と同一神とされ、波彌神社の祭神は武埴安彦命であるが元来は豊受大神とされる)。近年、神社そのものが前方後円墳であることが判明している大宮売神社は古代祭祀場から神社へと発展したものであり、1879年(明治12年)に二の鳥居の下から壷や曲玉・勾玉が発見されている。これらの品は祭事の跡(3世紀頃:弥生時代後期)を物語っている。大宮売神は巫女(シャーマン)であり、曲玉や勾玉は木の枝につけて祈祀の道具とした。これらのことからも女性祭祀者でなかったかと考えられる。大谷古墳も弥生時代墳墓を下層遺構とする古墳であり大宮売神社と同様に弥生時代の遺物が発掘されている。
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