奥絵師として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:04 UTC 版)
安政6年(1859年)12月から父の見習いとなり、将軍家茂にお目見え、奥絵師に任ぜられ20人扶持となる。同年、英米両国へ贈る掛物絵15幅の制作や、和宮降嫁に伴う待受調度品として屏風一双・掛物2幅などなど、しばしば幕府の絵画御用を務めた。こうした公務の傍ら、文久3年(1863年)開成所へ洋画修行のため2年間通い、更に慶応元年(1865年)川上冬崖について3年間、チャールズ・ワーグマンに2年間、油画と水彩画を学ぶ。これらの画塾の洋画教授法は未だ熟れてはいなかったが、この7年間の洋画修行により、和洋両方の画法を身に付ける。ただし、現在のところ友信の洋画作品は確認されていない。また、現在確認されている友信作品は多くはないが、それらに西洋画の影響を見つけるのは難しい。
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