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奥田剛郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 21:54 UTC 版)

奥田剛郎

奥田 剛郎(おくだ たけろう、1888年明治21年)11月9日[1] - 1981年昭和56年)3月24日[1][2])は、大正から昭和期の検察官政治家法学者華族貴族院男爵議員

経歴

農商務省官僚奥田義人の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1917年(大正6年)10月1日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1914年(大正2年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][5]。同年、三菱造船に入社[2]1923年(大正12年)検事に任官し、新潟区裁判所横浜地方裁判所兼区裁判所、浦和地方裁判所兼区裁判所、東京刑事地方裁判所、東京控訴院の各検事を歴任した[2][3]

1936年(昭和11年)3月14日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]

その後、中央大学法学部教授に就任し、同学部長、同大学理事、同監事などを務めた[8]。1981年に神奈川県中郡大磯町の自宅で病のため死去した[8]

著作

  • 『相続法講義』精興社書店、1938年。
  • 『身分法』第1、第2、学芸書房、1957年。

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 上巻』369-370頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』67頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』オ242頁。
  4. ^ 『官報』第1551号、大正6年10月2日。
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正3年 至大正4年』東京帝国大学、1915年、学士及卒業生姓名80頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
  7. ^ 『官報』第2760号、昭和11年3月17日。
  8. ^ a b 『現代物故者事典 1980~1982』73頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『現代物故者事典 1980~1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
奥田義人
男爵
奥田(義人)家第2代
1917年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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