夷人説の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 21:07 UTC 版)
平安時代後期、11世紀後期頃の成立と推定される『陸奥話記』の末尾に「我が朝、上古に屢々大軍を発し、国用多く費すと雖も、戎大敗無し。坂面伝母礼麻呂請降、普く六郡の諸戎を服し、独り万代の嘉名を施す。即ち是れ北天の化現にして、希代の名将なり。」とある。 喜田は坂面伝母礼麻呂という人物を「さかのものてもれまる」と訓んで坂上田村麻呂のことであるとし、坂面伝母礼麻呂請降を「田村麻呂が国家に降伏を願い、国家はそれを受け入れ、田村麻呂をして奥六郡の蝦夷を征服させた」と解釈することで、後述の父子ともに奥州で誕生したという説などを傍証として、田村麻呂夷人説を導き出した。
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