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大宮清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 04:17 UTC 版)

大宮 清
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県
生年月日 1916年
没年月日 1944年7月21日
身長
体重
170[1] cm
60[1] kg
選手情報
投球・打席 [1]投右[1]
ポジション 投手捕手[2]
プロ入り 1939年
初出場 1939年4月25日[3]
最終出場 1940年7月13日[4]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手捕手

来歴・人物

一宮中学(現・愛知県立一宮高等学校)、中央大学鉄道省を経て1939年4月10日名古屋金鯱軍へ投手として入団[2]5月20日名古屋軍での完投勝利(9回1失点)がプロ初勝利となった[5]。金鯱はこの試合までに15連敗を喫しており、もし敗れれば1936年大東京がマークした16連敗の記録に並ぶ所であったため殊勲の星となった。しかし、自身の制球難(与四球の数が奪三振のほぼ倍)とチームの低迷[6]により成績が伸び悩み、2年目の1940年からは捕手としての出場が増えた。

1940年7月13日阪急戦(後楽園球場)を最後に現役引退。その後応召し、1944年7月21日ニューギニア島サルミにて戦死した。

プロ野球選手として実績を残しているにもかかわらず、鎮魂の碑東京ドーム敷地内にある)に銘記されていなかったため、野球殿堂博物館内にある戦没野球人モニュメントに彼の名が刻まれていたが、2015年、戦没が確認された他の4選手とともに新たに鎮魂の碑に名前が加えられた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1939 金鯱 19 13 3 0 0 2 8 -- -- .200 400 88.1 83 1 51 -- 2 26 0 0 53 37 3.74 1.51
1940 2 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 12 2.0 2 0 3 -- 1 1 0 0 3 3 13.50 2.50
通算:2年 21 14 3 0 0 2 9 -- -- .182 412 90.1 85 1 54 -- 3 27 0 0 56 40 3.99 1.54

年度別打撃成績

















































O
P
S
1939 金鯱 25 44 36 4 5 1 0 0 6 0 0 -- 0 0 8 -- 0 9 -- .139 .295 .167 .462
1940 8 17 15 1 1 0 0 0 1 0 1 -- 0 0 2 -- 0 7 -- .067 .176 .067 .243
通算:2年 33 61 51 5 6 1 0 0 7 0 1 -- 0 0 10 -- 0 16 -- .118 .263 .137 .400

背番号

  • 5 (1939年)[7]
  • 28 (1940年)[8]

脚注

関連項目

外部リンク




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