大友氏
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大内輝弘は敗死したものの、後方攪乱によって毛利軍を撤退させることに成功、さらに毛利氏に奪われていた筑前国の領地・諸城も奪回した。この戦いで最大の利益を得たという点で、勝者と言える。その後、九州への干渉がなくなった毛利氏との戦いは無くなり、替わって九州の覇権をめぐり龍造寺氏や島津氏との対立を深めていく。
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大友氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:20 UTC 版)
豊後の大友義鎮は、実弟の大内義長を見殺して周防国への影響力を失うが、大内氏旧領の豊前・筑前を占領。永禄2年(1559年)6月には豊前国・筑前国の守護に任じられている。一旦は毛利氏と和を結んだものの、後に九州博多を目指す毛利氏と北九州で激しく戦い、輝弘の山口侵入を画策する。
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