大伴和武多麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/20 04:28 UTC 版)
大伴 和武多麻呂(おおとも の わむたまろ、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。参議・大伴潔足の子とする系図がある。官位は従五位上・左近衛少将。
経歴
平城朝にて従五位下・左近衛少将に叙任される。大同4年(809年)従五位上に昇叙され、常陸権介を兼ねる。
大同5年(810年)薬子の変が発生すると、武蔵権介次いで日向権守に左遷された。
人物
先祖伝来の射礼の作法を良く伝えていた。同じく射礼の作法を受け継いでいた紀興道と並び称されたという[1]。
官歴
『日本後紀』による。
系譜
脚注
参考文献
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