塩川村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/30 01:36 UTC 版)
しおがわむら 塩川村 |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 | 編入合併 丸子町、塩川村 → 丸子町 |
現在の自治体 | 上田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 小県郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 3,805人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 小県郡丸子町、神川村、田中町、北佐久郡立科村、北御牧村 |
塩川村役場 | |
所在地 | 長野県小県郡塩川村 |
座標 | 北緯36度21分15秒 東経138度18分26秒 / 北緯36.35408度 東経138.30736度座標: 北緯36度21分15秒 東経138度18分26秒 / 北緯36.35408度 東経138.30736度 |
ウィキプロジェクト |
塩川村(しおがわむら)は、長野県小県郡にあった村。現在の上田市塩川・藤原田にあたる。
現在でも地名に名残る村名、石井、狐塚、坂井、南方(松葉)、郷仕川原、藤原田の各村から成り、合併後「塩川村」となる。
地理
- 地境:現在の上田市本海野、千曲川左岸の郷仕川原対岸も塩川村であるが、これは、かつて「鍋谷窪の渡」という渡し舟があった名残である。
- 河川:千曲川(郷仕川原、石井) 塩川沢(藤原田、南方、郷仕川原)
- 山:神ノ倉山、陣場山(おいせやま)、天下山。「陣場」「天下」の名前は(第一次上田合戦)徳川陣営に纏わる。
- 塩川村 市ノ町砦跡
- 塩川村 陣場山城跡
- 塩川村 芝宮城跡
- 元禄時代期(詳細不明)大門村市左衛門によって塩川沢に堰を用いた新田開発により、南方村は一旦独立する。(現在の塩川沢下流、塩川堰)
- 1875年(明治8年) - 近世以来の石井村・狐塚村・坂井村・南方村が合併して塩川村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、塩川村・藤原田村の区域をもって塩川村が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 丸子町に編入。同日塩川村廃止。
交通
鉄道路線
現在は旧村域を北陸新幹線が通過する。
参考文献
関連項目
- 塩川村のページへのリンク