塚原嘉藤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/06 08:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動塚原 嘉藤(つかはら よしふじ、1881年(明治14年)10月22日[1] – 1930年(昭和5年)11月13日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
長野県東筑摩郡日向村(現在の麻績村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第二高等学校を経て、東京帝国大学法科大学でドイツ法を学び、1909年(明治42年)に卒業した[1]。卒業後は弁護士・弁理士事務所を開業し、株式会社小穴製作所・日本無線電信電話株式会社などの法律顧問を務めた[3]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1923年(大正12年)、関東大震災の際に保険金問題について活躍し有名になった。
その他、社団法人日本アルプス理事・社団法人清涼飲料研究所理事などを務めた[3]。
脚注
参考文献
- 『信濃人物略誌』信濃青年会、1919年。
- 『衆議院要覧下巻 大正九年六月』衆議院事務局、1920年。
- 『昭和七年 毎日年鑑人名録』大阪毎日新聞社、1931年。
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