堀割の埋め立て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:08 UTC 版)
「新潟大火 (1955年)」の記事における「堀割の埋め立て」の解説
この後新潟市内を流れていた堀(西堀・東堀など)が高度経済成長期までに埋め立てられた。 1964年(昭和39年)に第19回国民体育大会(新潟国体)が開催されることが決まり、市内中心部の道路網の整備が急務だったことに加え、当時の新潟市は下水道の整備が進んでおらず、堀に生活排水が流入するなどして水質が年々汚濁し、衛生の確保が必要であった事などが主な理由として挙げられるが、加えてこの大火の際、堀のある通りはその畔に植栽してあったヤナギの木が障害物となり、消防車両が入りにくく消火活動の妨げになった事や、防火のためにある程度の空間を確保する必要があった事なども、堀を廃止する遠因となっている。
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