堀内干城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 堀内干城の意味・解説 

堀内干城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 01:20 UTC 版)

堀内 干城(ほりうち たてき、1889年明治22年)3月7日[1] - 1951年昭和26年)5月28日[2])は、日本外交官。駐中華民国公使

経歴

奈良県生駒郡筒井村(現在の大和郡山市)出身[1]1915年大正4年)、京都帝国大学法科大学政治科を卒業した[3]1918年(大正7年)、高等試験外交科に合格[3]。領事官補、外務事務官イギリス大使館二等書記官上海領事、中華民国公使館二等書記官、同一等書記官、天津総領事、中華民国大使館参事官北平総領事などを歴任した[3][4]1939年(昭和14年)、外務省東亜局長に就任[3]1940年(昭和15年)、中華民国大使館参事官を経て、特命全権公使兼上海総領事に就任した[3]1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙全国区から自由党公認で立候補したが落選した[5]

著作(新版)

  • 『中国の嵐の中で 日華外交三十年夜話』乾元社、1950年
    • 復刻『中国の嵐の中で 日華外交三十年夜話』「日本外交史人物叢書 第23巻」ゆまに書房、2002年
    • 新版『日中衝突三十年 現地外交の志-道義的経済政策と侵略的軍事の抗争』書肆心水、2021年

栄典

脚注

  1. ^ a b 大衆人事録 1937.
  2. ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、p.207。
  3. ^ a b c d e 人事興信録 1941.
  4. ^ 日本官界名鑑 1942.
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』542頁。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。 
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  堀内干城のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堀内干城」の関連用語

堀内干城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堀内干城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堀内干城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS