埼玉の海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 02:20 UTC 版)
埼玉で発見されている貝塚の年代は、縄文早期後葉(8000年前頃)から縄文前期後葉(5500年前頃)にかけて増加している。この時期には海は埼玉を越え栃木県西南の渡良瀬遊水地のあたりまで広がり、奥東京湾が形成されていたためであると考えられている。気温ととも海水面が上昇する縄文海進によって、9000年前頃には関東地方の陸地が海に侵食され始めた。縄文海進は6500年前頃にはピークを迎え、現代より2-3メートルほど海面が高い状態にあったと考えられている。縄文海進のピークは5300年前頃まで続いた。しかしその後海面は一旦低下して埼玉の地から海は引き、縄文前期末葉には埼玉には貝塚はあまり見られなくなる。その後、縄文中期初頭以降ふたたび海面は広がっている、3500年ほど前から海は再び後退し始め2000年前には奥東京湾は消滅している。埼玉全体としては縄文前期の貝塚の数が多いが、国の史跡である岩槻の真福寺貝塚や春日部市の神明貝塚、川口市にも県史跡に指定される貝塚群など縄文後期にも複数の貝塚があらわれている。
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