坊城俊昌とは? わかりやすく解説

坊城俊昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 16:37 UTC 版)

 
坊城俊昌
「(慶長五年八月廿八日)
藏人権右少辨藤原俊昌(花押)」
『三浦周行氏所蔵文書』より
時代 安土桃山時代江戸時代
生誕 天正10年(1582年
死没 慶長14年8月17日1609年9月15日
官位 従四位上参議
主君 後陽成天皇
氏族 勧修寺家坊城家
父母 父:勧修寺晴豊、母:土御門有脩の娘
養父:坊城俊名
兄弟 光豊経遠行源俊昌致康承章佐久間安政
松倉重政の娘
経広俊完、小堀正春室
特記
事項
中絶した坊城家を再興。
テンプレートを表示

坊城 俊昌(ぼうじょう としまさ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公家公卿)。

堂上家(家格は、名家藤原北家高藤流勧修寺庶流)である、坊城家の9代当主。

経歴

准大臣勧修寺晴豊の四男。母は刑部卿陰陽頭土御門有脩の娘。室は豊後守松倉重政の娘。兄弟に権大納言勧修寺光豊蔵人頭甘露寺経遠讃岐守・伊達源行、右京亮阿部致康相国寺95世・鳳林承章など。実子に権大納言勧修寺経広権大納言坊城俊完(はじめ、権中納言・葉室頼宣の養子)、左馬助・小堀正春(遠州流)の室など。

文禄4年(1595年)、権中納言・坊城俊名の没後、55年に渡り中絶していた坊城家を再興。

慶長14年(1609年)7月19日、参議に叙官されるが同年に没。極位は、従四位上

系譜

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坊城俊昌」の関連用語

坊城俊昌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坊城俊昌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坊城俊昌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS