坂井尚恒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/14 01:17 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 弘治元年(1555年) |
死没 | 元亀元年6月28日(1570年8月9日) |
別名 | 通称:久蔵 |
主君 | 織田信長 |
氏族 | 坂井氏 |
父母 | 父:坂井政尚 |
兄弟 | 尚恒、越中守 |
坂井 尚恒(さかい ひさつね)は、戦国時代の武将。織田信長の家臣。通称は久蔵。父は坂井政尚。諱である「尚恒」は確実な史料からは裏付けられていない。
生涯
弘治元年(1555年)、織田信長の家臣である坂井政尚の嫡男として生まれ、父と同じく信長に仕えた。
永禄11年(1568年)に信長が上洛を開始した時にも従軍しており、六角義賢の観音寺城攻めに参加して武功を挙げ、足利義昭から感状を与えられている。
その後も信長の主要な合戦の多くに参加して武功を挙げたが、元亀元年(1570年)6月28日の姉川の戦いで浅井長政の軍と戦い戦死した。享年16。
関連項目
坂井尚恒
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「坂井尚恒」の解説
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