国連加盟に尽力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:20 UTC 版)
「加瀬俊一 (1925年入省)」の記事における「国連加盟に尽力」の解説
退職後は『ミズリー号への道程』などの著作を発表する一方、公職追放の後改進党総裁に就任した重光の腹心として行動していたが、重光が外相として第1次鳩山内閣に入閣したことから、同じく重光側近だった谷正之・太田三郎と共に外務省顧問に就任、「重光三羽烏」「重光御三家」などと当時のマスコミに称された。 1955年(昭和30年)4月に行われたバンドン会議では、中華人民共和国との接触に消極的・警戒的な重光の意を受け、日中接触に積極的な高碕達之助全権のお目付け役として谷・太田と共に随行し、周恩来と高碕の二度目の会談を阻止している。
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