国民議会の結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
第三身分は1789年6月18日に自分自身の名を国民議会と呼ぶことに決定した。国民議会の権限について議決を行い、国王には国民議会の決定にいかなる拒否権もないこと、国民議会を否定する行政権力は無いこと、国民議会の承認しない租税徴収は不法であること、いかなる新税も国民議会の承認無しには不法であることを決定した。さらに、ブルジョアジーの破産を救うべく「国債の安全」の宣言も決議された。絶対主義の王権は破産に直面すると公債を切り捨てて、国庫への債権者を踏みにじって危機を乗り越えてきた。これに歯止めをかける決議は、王権にとって致命的だった。 このような第三身分の動きに僧侶部会が影響を受け、多くの司祭と少数の司教が第三身分へ合流した。貴族部会の大多数は第三身分の行動に反対した。1789年6月20日に国王は国民議会の会場を兵士によって閉鎖するよう命令し、国民議会の集会を禁止し、国王が改めて三部会を招集するという命令を伝えた。
※この「国民議会の結成」の解説は、「フランス革命」の解説の一部です。
「国民議会の結成」を含む「フランス革命」の記事については、「フランス革命」の概要を参照ください。
- 国民議会の結成のページへのリンク