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国富友次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 16:00 UTC 版)

国富友次郎

国富 友次郎(くにとみ ともじろう、明治3年2月3日[1]1870年3月4日) - 昭和28年(1953年12月1日[1])は、日本の教育者岡山市長

経歴

備中国浅口郡鴨方(現在の岡山県浅口市)の高戸家に生まれ、岡山市の国富大三郎の養子となった[2][3]岡山県師範学校卒業後、岡山県下の小学校で校長を務めた[2]1904年(明治37年)に岡山実科女学校校長に就任し、1908年(明治41年)には岡山実科高等女学校(のち就実高等女学校に改称)を設立し、両校の校長を兼ねた[4]。岡山県教育副会長、岡山市教育会長、帝国教育会理事を歴任[3]。また県会議員、市会議員、同参事会員、同議長に選出された[3][4]

1941年(昭和16年)、岡山市長に就任し、1944年(昭和19年)まで務めた。

戦後、公職追放となった[5]

出典

  1. ^ a b 岡山市 秘書広報室秘書課・企画局情報企画課 The Lit City Museum 整備推進グループ. “歴代岡山市長” (日本語). 2016年9月9日閲覧。
  2. ^ a b 岡山市興信録 p.3 1922.
  3. ^ a b c 人事興信録 1943.
  4. ^ a b 大日本人物名鑑 pp.214-215 1921.
  5. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛市協」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、297頁。NDLJP:1276156  同書には「国富友郎」と表記されている)

参考文献

  • 『大日本人物名鑑』ルーブル社出版部、1921年。 
  • 梶谷鉄傷編『岡山市興信録』新声時報社、1922年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 



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