四国四商一堂に会す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:05 UTC 版)
戦後に高知商が強豪に成長して以降、四国四商は常に甲子園の舞台を沸かせる存在であり続けていたが、夏の甲子園に出場できるのは香川・愛媛両県による北四国が1校、徳島・高知両県の南四国が1校であったため、4校すべてが同時に甲子園に出場したことはなかった。しかし、一県一代表となった1978年の第60回選手権では四国4県すべてで四国四商が代表となり、甲子園での四国四商揃い踏みが初めて実現した。このとき、高知商業の当時の部長であった沖本の発案で四国四商出場選手監督らでバックネット前で記念撮影を行っている。この大会では高松商は仙台育英と延長17回を戦い惜敗。松山商は郡山北工に、徳島商も横浜の前にそれぞれ苦杯を喫したが、高知商は選手権の決勝に初めて進出し準優勝した。
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