單懋謙とは? わかりやすく解説

単懋謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/07 08:14 UTC 版)

単 懋謙(ぜん ぼうけん、Shan Maoqian1802年 - 1879年)、字は仲亨、号は地山末の官僚。

湖北省襄陽出身。1832年進士となり、庶吉士に選ばれ、編修となった。その後広東学政となったが、父の死後母を養うために郷里に帰った。襄陽にいる間、鹿門書院で講義を行って人材を育てた。1853年太平天国軍が湖北省に侵入すると、団練を組織して太平天国軍の進撃を防いだ。1856年北京に戻って官界に復帰し、江西学政、侍読学士、少詹事、内閣学士、工部侍郎などを歴任した。1863年に左都御史となり、翌年に工部尚書となった。1865年盛京へ太廟と北陵の修築の視察に派遣されたが、その際に盛京周辺の馬賊対策を献言して容れられた。1868年、吏部尚書に転任となり、1872年協弁大学士文淵閣大学士に昇進した。1874年、病のため故郷に帰った。死後、太子太保と文恪の諡号が贈られた。

に巧みで、『峴雲山房遺稿』が残されている。

出典

先代:
李棠階
都察院漢左都御史
1863-1864
次代:
斉承彦
先代:
李棠階
工部漢尚書
1864-1868
次代:
鄭敦謹
先代:
朱鳳標
吏部漢尚書
1868-1872
次代:
毛昶熙




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

單懋謙のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



單懋謙のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの単懋謙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS