呉兄弟の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 08:24 UTC 版)
944年に呉権が病死した後、安南は多数の土豪が並立する群雄割拠の時代に入る。 944年に呉権の義兄弟である楊三哥(ズオン・タム・カー)が王位を奪って平王(ビンヴオン)を称し、各地で土豪が独立の動きを見せた。950年に呉権の次男の呉昌文は将兵の支持を得て楊三哥を打倒し、呉氏の手に王位を取り戻した。呉昌文は古螺から出奔して南冊江に逃れていた兄の呉昌岌を呼び戻して共同統治を行い、954年に呉昌岌が没すると呉昌文は単独で統治を行う。 しかし、呉昌岌・呉昌文兄弟の支配力は弱く、内部矛盾を抱えた呉朝の国力は衰退した。
※この「呉兄弟の統治」の解説は、「呉朝」の解説の一部です。
「呉兄弟の統治」を含む「呉朝」の記事については、「呉朝」の概要を参照ください。
- 呉兄弟の統治のページへのリンク