名古屋市立名古屋薬学専門学校時代
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「名古屋薬科大学」の記事における「名古屋市立名古屋薬学専門学校時代」の解説
名古屋薬学専門学校では、ガソリン配給制限により実習で使用するエアーガスが作れなくなり、都市ガス (石炭ガス) の受けられる名古屋市内への移転希望が高まっていた。加えて、愛知郡鳴海町の校地の水道水は鉄分・ケイ酸が多いため水道管が詰まり、実験に支障をきたしていた。このような背景から、将来名古屋市内へ移転することを前提に、名古屋市に移管することとなった。 1946年3月20日: 名古屋市議会、名古屋薬学専門学校の市移管を可決。 1946年4月1日: 名古屋市に移管、名古屋市立名古屋薬学専門学校と改称。男女共学となった (実際の女子生徒入学は1947年)。 1947年3月: 公立第1回卒業式。 1948年4月: 官立薬学専門学校規定改正。第2学年から厚生科と製薬科とに分科。
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