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吉野量哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 01:00 UTC 版)

よしの かずや
吉野 量哉
生誕 (1968-04-04) 1968年4月4日(55歳)
国籍 日本
職業 出版アドバイザー
活動期間 2000年 - 現在
公式サイト 『Office Dynamite オフィシャルサイト』
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吉野 量哉(よしの かずや、1968年(昭和43年)4月4日 - )は、日本の出版アドバイザー、芸能プロダクション『Office Dynamite & Dancing Family』代表。東京都生まれ。千葉県松戸市育ち。血液型AB。

来歴

少年期は非行に走り、暴走族『松戸スペクター』に加入。16代目総長を務める。その後、建築業、サービス業などを経て、コーディネーターに転身。その豊富な経験と人脈を活かして、2000年以降、数多の雑誌・テレビ・映画・Vシネマの現場にアドバイザーとして参画。現在に至る。

雑誌

書籍

  • 『暴走族、わが凶状半生』(2008年、コアマガジン)ISBN 978-4862524614 中村淳彦との共著
  • 『無罪 〜裁判員裁判372日の闘争…その日〜』(2012年、竹書房)ISBN 978-4812490761(構成:影野臣直/協力:高野隆法律事務所)
  • 『アウトローと語る社会問題』(2019年、医学と看護社)著者:舘野雄貴/監修

コミック

テレビ

映画

Vシネマ

傷害致死容疑

2010年(平成22年)11月1日警視庁綾瀬署は「路上で面識のない男性を殴って死亡させた」として、吉野を傷害致死容疑で逮捕した。しかし、吉野は逮捕当初から一貫してこれを否認。起訴後も無罪を主張しつづけた。
その後、裁判員制度のもとで行われた審理を経て、2011年(平成23年)10月24日、東京地裁は暴行と死亡との因果関係には言及しつつも、「(泥酔状態にあった相手男性からの)差し迫った攻撃に対し、防衛の意思で暴行を行ったことは否定できない」として、正当防衛を認定。懲役5年の求刑に対し、無罪を言い渡した。検察側は控訴せず、確定。2012年11月に、その一部始終を綴った闘争記『無罪 〜裁判員裁判372日の闘争…その日〜』を上梓した。

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