吉岡友愛とは? わかりやすく解説

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吉岡友愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 02:02 UTC 版)

吉岡 友愛
生誕 1863年11月18日
文久3年10月8日
日本福岡県
死没 (1905-03-07) 1905年3月7日(41歳没)
奉天
所属組織  大日本帝国陸軍
最終階級 陸軍大佐
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吉岡 友愛(よしおか ともよし、1863年11月18日文久3年10月8日) - 1905年明治38年)3月7日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐(戦死後大佐昇進)。玄洋社社員[1]

経歴

福岡藩福岡県地行出身。父は吉岡孫太夫善次、母はゆき、兄は義處。陸軍大学校卒。

日露戦争ではじめ旅順攻囲軍に属し旅順攻囲戦に参加、旅順陥落後の1905年(明治38年)1月26日に歩兵第三十三連隊長に着任し、黒溝台会戦に参加。奉天会戦でロシア軍を退却させたが逆襲に会い、1905年(明治38年)3月7日戦死。享年41歳。

奉天会戦で戦死した吉岡の後を受け第3軍高級副官となったのは塚田清市。吉岡は山座円次郎の少年時代からの親友であり、山座円次郎の妹いくと結婚し義弟であった。 金鵄勲章(功四級金鵄勲章)と勲三等旭日中綬章を授与された。 福岡市中央区にある西公園 (福岡市)に、日清日露戦争記念碑と共に吉岡友愛大佐記念碑があったが、1926年(大正15年)に建立された吉岡の銅像は、第二次世界大戦の最中に供出され現在は無い。

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年、玄洋社社員名簿65頁。
  2. ^ 『官報』第2193号「叙任及辞令」1890年10月20日。
  3. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
  4. ^ 『官報』第6550号「叙任及辞令」1905年5月4日。

参考文献




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